塾講師の本音「Erikoのひとり言」

小さな町の小さな塾より

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作文

私の記憶の中にある一番最初に違和感を感じたもの,それは,「先生がみんなの作文を読み上げる」という,小学生の頃に誰もが経験するあれです。

当然,上手な子もいれば下手な子もいるわけで,上手な子の作文を聞いているとなんとも気恥ずかしく,下手な子の作文は本当の意味で恥ずかしい…。「私にはまったく縁のない作業だ」と作文に見切りをつけたのは,確か小学校の高学年の頃だったと思います。

今思えば,文字と気持ちの隔たりをどう埋めればいいのか分からなかったような気がします。

 

それ以来,「文章を書く」というのは特殊能力で,本当に文才がある人だけのものであり,「その人たちには自分とはまったく違う世界が見えているんだろうなぁ…」と思うようになり,50歳過ぎまできてしまいました。

そんな私がなぜ今さらブログを書こうと思ったのかというと,50歳を過ぎ,最愛の母を失って,今までの自分をリセットしたくなったから,というのが本音のような気がします。

 

大人になって数十年,折に触れて色々なことを誰に見せるわけでもないのに書き続けてはいたのですが,それはその時その時の自分を文字の形で表現することで,整理し,理解し,捨て去るため。純理系の私は,文字に変換することで物事を整理するタイプなのかもしれません。すべてを引きずって生きるには,50年の歳月はけっこう重たかったから…

今,これまでの自分を捨てるには良いチャンスと思いつき,自分の中で整理してこなかった思いを捨てるために書いています。「書く」という最も嫌だと感じていた作業が,自分にとってこんなにも必要になるなんて,幼かったあの頃の私には分かるはずもありませんよね。

 

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